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サラダのマナーと知識4

    

サラダのマナーと知識C 
サラダバー誕生
子供の頃、新聞のテレビ欄には、カラー放送の番組にはカラーと表示してありました。それ以外は白黒です。今では考えられないことが当時では当たり前でした。学生時代の東京のアパートには、クーラーは無く、蒸し暑い夏の夜長にはアイスノンを額にあて暑さを凌いでいました。その時代には当たり前でした。環境の変化や、状況の進化は刻々と現行を打破していきます。過去の当たり前が、今の当たり前になる瞬間、目に見えない強いエネルギーが必要となります。その過程を体感として出会えたら・・・
 
23年前、西新宿に在るホテルセンチュリーハイアットに勤務していた時のお話です。
赤坂のヒルトンホテルにつぎ、外資系ホテルの先駆けでした。ロビーには巨大なシャンデリアがあり、来館されるゲストもため息をつくほど立派な物です。ホテルマンとしてはまだまだ駆出しでした。肩の荷が少なく体力が十分なバランスで、若さを存分に謳歌していました。ルームサービス主任から春の人事異動でテラスレストラン カテリーナの主任として着任することになりエネルギッシュな人と出会います。まるでテレビドラマの一話完結のストーリーの様な毎日が始まりました。同じく移動にて着任となった上司。レストラン責任者(マネージャー)林正一氏の下での勤務として歩む事になりました。

その上司から過去の当たり前が今の当たり前に変化して行く様を見させて頂きました。それは、サラダを食の中心にと考えた事です。サラダバーを完全にレストランの食のカテゴリーとして認めさせた人です。卓越した企画力とエネルギッシュな人柄は、時代の流行を先回りして一手を打てる人でした。23年前、高度成長と個々の豊かさから来る健康志向に入ろうとしていた時です。しかし、まだサラダだけのバイキング(サラダバー)が一般に認識して頂くには、遥か遠く及ばない時代でした。そんな中での試みが、予想を超える事となろうとは努々思いもしませんでした。告知する方法、女性嗜好を前面に打ち出したアイデアが見事にはまりました。

外資系ホテルのテラスレストラン、オープンキッチン、窓越しのテーブル、選び抜かれたサラダ食材、日本で初めての女性ソムリエを売り出した方法論。女性雑誌は取材に毎日のように足を運び、テレビが頻繁にトピックスとして取り扱う、海外のTV局まで取材に訪れることとなり、決定打は、TVドラマの主幹となり流行を生み出すパイオニアレストランとなって行きました。今ではファミリーレストランでも当たり前に目にするサラダバーは、こうした企画力から全国にコピーして行きました。

食が変革して行く様をこの目で見て、肌で感じたスタッフとして体感出来得た事が、時代のウエーブを一時期共有させて頂いた思いでした。メイン料理は、肉や魚料理だけでなく、バリエーションの豊富なサラダをと、お考えになって一向に構わないと申し上げておきます。時は、過去の当たり前と、今の当たり前が共存して進んでいます。サラダ食材も今では創造出来ない物が、少し先の未来では、当たり前になっていることが間違いないでしょう

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